学びシリーズ:01
溝活版分室へ行ってみた
エモい、この表現で合っていると思う。ここは活版印刷を愛してやまない人が集う小さな印刷工房。その中心にいる横溝健志先生は云う。
「失くなってしまうんですよ、使われなくなると、ものすごい速さで。活字が、技術が、職人が、素晴らしいもの全て。だから残さないと、今ならまだ間に合うからね」
活版印刷に魅了された人たちが作る印刷物は温かく美しい。
生デの卒業生(1988年度専攻科卒)がここに通ったレポートを寄せてくれたのでご紹介します。溝活版分室のイベントなどはSNSに掲載されています。懐かしくも新しい活版印刷にご興味がある方はぜひチェックをしてみてください。
[溝活版分室]
184-0011 東京都小金井市東町4-21-2-103
メルアド:mizzopress2019@gmail.com
サイト:https://mizzopress.stores.jp
●なぜ活版印刷なのか
生デでプロダクトを専攻していた頃の私は、工業デザイナーか家具職人になることに憧れていました。しかし、卒業後はどういう巡り合わせかエディトリアルデザインの仕事に就き、気がつくとベテランデザイナーと呼ばれる年齢になっていました。ベテランといっても、モノクロ画面の小さなMacintoshを使ったDTPが始まった頃からで、写植文字を切り貼りして版下を作った経験はほとんどなく、ましてや活版印刷はレトロでレガシーなものといった印象しかありませんでした。
これまで使ったことのない書体で本文を組もうと、フォントメニューから「秀英明朝体」という書体を選んでみました。これまでに感じたことのない美しさと風格を合わせ持ったその明朝体は、あとで詳しく調べてみたところ、活版印刷の時代に大日本印刷の前身である秀英舎で開発された金属活字をデジタルフォント化したものでした。
現在よく目にする書体は、スマホやPCの画面で読みやすくデザインされたユニバーサルフォントが主流ですが、紙に印刷するための金属活字としてデザインされた秀英明朝体に魅了され、一気に活版印刷に興味を抱いていきました。そしてたまたまご縁のある方から、横溝先生が中心となり活動されている「溝活版分室」を私が生デOBであることからご紹介いただき、活版印刷の扉へと向かっていくのでした。
●溝活版分室について
溝活版分室は印刷博物館「印刷の家」で活動していた友の会のメンバーによる活版印刷の共同作業室です。西武多摩川線・新小金井駅すぐ近くにあります。
私はプロダクト専攻だったので、横溝先生にデザインリサーチを習ってはいたのですが、活版印刷での接点は今回が初めて。先生とは生デの学生だったということだけを拠り所にして、改めて初めましての気持ちで挑みました。
●名刺をつくる
さて、「活版印刷に興味があります!」との意気込みだけで溝活版分室の扉を叩いてみたのですが、ここは何かの教室ではなく共同作業室です。まだ漠然とした思いしかない自分が、自主性がなければ何も始まらないこの場所でさて何をすればよいのやら。結局、快く迎えてくれたメンバーの方達からお話を伺うことで精一杯でした。そんな中さすがは先生、手始めに名刺を作ってみてはどうかと助け舟を出してくれました。ついに私の活版印刷が動き出したのです。
まずはデザインから始めます。仕事場のMacで数パターン起こすのですが、金属活字は初号から1号、2号、3号…と文字サイズが決まっているので、デジタルのように自由自在なサイズ調整ができません。なんとも制約のある世界ですが、ここにこそデザインが宿るのであり、力の見せどろでもあります。何度か先生とメールをやり取りし、これでいきましょうとOKをいただきました。
●分室一日目
分室での作業は文字組から印刷までの工程を二日に分けて行います。
一日目はデザインを元にした活字拾いと仮組、そして試し刷です。ここから先の工程はメンバーの方に委ねます。未経験者の私は傍でじっくりと見学することにしました。現在では貴重となった活字や活版印刷の機材たち。おいそれと触れさせてくださいとはなかなか言いだせないですから。
ここからは作業の観察メモです。まず、活字ケースから手のひらサイズの文選箱に活字を拾い集めます。名前に使う活字は大きいので問題ないのですが、住所やメールアドレスに使う欧文は、小さい上に反転しているので判読がとても難しく拾うのも一苦労。私を含め老眼の身にはとても辛い作業なのでしょうが、これを素早く正確にやってみせる当時の職人さんの技にしばし想いを馳せてみました。
余白や文字送り、字詰めはインテルやクワタと呼ばれる詰め物を入れて方形になるように調整し、金属のフレームに治具で固定し組版完了です。
いよいよ試し刷り。手動の小型印刷機(Adana 8×5)に2本のゴムローラーをセット、円いプレートに少量のインキをのせてレバーを繰り返し押すと、プレートが少しずつ回転しゴムローラーがムラなくインキを薄く延ばしていきます。なかなかのギミックには目を見張ります。
テスト用紙をセットしガッチャンと一枚目。でも、ところどころ印字されていない文字があります。活版印刷はハンコのように活字を押し付けて印刷するので、活字の高さが揃っていないと印字されません。さらに欧文書体は和文書体よりも高さが若干低く、セロハンテープを貼って高さを増します。活字を均すためにゴムハンマーでトントンと叩くのですが、それはまるで儀式やおまじないのよう。
根気のいる調整作業を繰り返し、インキの乗りと文字校正を完了し一日目が終了しました。
●紙を選ぶ
二日目まで間が空くので、その間に名刺の紙を探しに表参道の羽車*へ。ここは名刺用の紙見本を数多く揃えており、紙の厚みや手触り、光沢や色味を実際に確認しながら購入できます。
活版印刷ならではの印圧よる凹みを効かすために、厚めで柔らかい紙を選ぶのが若い人たちに好まれているようです。しかし、そのためには印圧を強くかけなければならず、活字を傷めてしまうそうです。また聞くところによれば、紙に合わせて凹凸が出ないよう均質に印刷するのが、活版職人の腕の見せ所だそうです。鉛の活字も消耗品、貴重な活字を大切に使うためにも、職人の高い技術をリスペクトするためにも凹みのない印刷を目指すことにします。
※HAGURUMA STORE 東京表参道 https://www.haguruma.co.jp
●分室二日目
ついに名刺の本刷です。羽車で紙のサンプルを何枚か購入したのですが、活版のビンテージ感をだすために、今回は奇を衒わず分室に備え付けのオーソドックスな紙を選びます。
を少し繰り返し本番スタート。100枚の名刺は順調(途中ちょっとしたアクシデントがあったのですが…)に刷り上がっていきました。出来は上々です。
今回はMacのモニターで仮の書体を使ってデザインし、それを元に金属活字で組み直しています。でもそれはちょっと違うのではないかと仕上がりをみて感じました。それでは金属活字に直接触れ、戯れながら感じ、そしてデザインした過程が含まれていない。それが一番大切なことなんですけどね。
●終わってみて
すべてがデジタルで片付く現在、印刷の精度はとても高く1mm以下の調整もキーボードとマウスで出来てしまう。しかし、アナログの活版印刷はそうはいきません。微調整はセロハンテープをはじめ周りにある使えそうなものは何でも使い、あとは手の感触と経験からくる目測の感。
あえて精度を求めず、そのゆらぎが活版印刷の味わい深さだとする向きもあるのかもしれませんが、活版印刷とて印刷物をつくる目的のもの。美しい仕上がりを求め作っていくことはデジタル印刷と何ら変わりません。そのことを横溝先生はじめ、分室のメンバーの方達から感じ取ることができました。
今回、活版印刷の実際を間近で見るという貴重な体験を与えてくださった溝活版分室に感謝し、もっともっと活版印刷を知っていきたいと思いました。