Then & Now生デの今昔

「生デの宝物」:01
鉄鉢とスミレの花咲く頃

生デにまつわる宝物の第一弾は「小鉢」です。

卒業制作と格闘したあの頃の様子がありありと甦る力作の原稿をお届けします。

1999年度卒業/佐藤 慎一郎

「まったくキミのプレゼンテーションはつまらない。フィールドワークもなっちゃいない。」

デザイン論演習で担当講師の観堂先生から受けた洗礼である。書店や図書館で、フィールドワークやプレゼンテーションの本を探して読んで実践してみても、「何か勘違いしていないか?」と喝破されるのは二度や三度ではなかった。

「せっかく美大に入ったのに、何だこれは?デザインとは関係ないのではないか? こんなことをしていて何になる?」と自問自答の日々であった。二十歳そこそこの若さでは、こう言われても心の中でギリギリするしかなかった。当時の私は観堂先生を逆恨みし、他のクラスではネガフィルムを支給してもらって和気あいあいと授業を受けているのが羨ましく思い、お貰い根性丸出しであった。

最後の演習は自由課題であった。同じクラスの連中はおおかた、東京近郊をフィールドワークするだろう。だったら俺は関西だ、と夜行バスのチケットを取り大阪に向かった。梅田→難波→天王寺あたりで足を棒のように歩き回って、写真を撮り、気になったものはメモをしまくった。その頃はJR大阪駅周辺もそれほど開発が進んでおらず、USJもあべのハルカスもなかったから、却って都市環境を見るのに集中できたのだと思う。プレゼンではトラ柄のハッピを着て、メガホンを持って説明した。とにかく必死だったため、詳細は何を話していたかは覚えていないが、講師にウケていたのは確かだった。

天王寺でふと見たおんぼろなチンチン電車(阪堺電気軌道)が、卒論を書くきっかけになるとはその時は夢にも思わなかった。無論東京には都電や世田谷線もあるが、東京近郊でウロウロしていたらたぶん路面電車は眼中に入らなかっただろう。

二年生に上がり、網戸先生が卒業制作・論文の説明会で、「論文のあとがきには、勉強になった、学んだ、とは書かないで欲しい。」とおっしゃっていた。その時は、どういう意味かは分からなかったが、おそらく人間死ぬまで勉強、学生なら学んで当たり前、とおっしゃりたかったのではないだろうか。

…とはいえ、そんなにすぐアイデアが浮かぶ訳ではなかった。選択美術の放課後、モチーフの樹根をぼーっと描いていたら、ふと天王寺の路面電車が頭に浮かんだ。すぐに美術館・図書館に行って、『現代用語の基礎知識』から調べてみた。「欧米では都市計画の一環としてLight Rail Transit(以下LRT)」という名称で敷設整備されて来ている。」と書かれていた。

こうなると、“生活に密着する公共交通デザイン”と言う観点から、一気に光明が差し込む思いがした。しかし問題は、日本国内で路面電車の復権やLRTについての情報があるかどうかであった。と言うのも、LRTの存在が国内で認知されていなければ、ただの欧米かぶれな論文になってしまうからだ。そこで各新聞社の縮小版を過去2~3年くらい遡って調べてみると、LRTに関する記事はあいにく見つからなかったが、都電が早稲田から新宿駅方面に延伸する可能性がある、という記事を見つけた。(残念ながら2023年12月現在もめどが立っていない。)

私は他の人よりは“鉄分”の多い方かと思うが、いわゆる○○鉄と言うほどには熱は入っていなかった。この点で、割と中立的な立場で一連の流れを推察できたのではないかと思う。

このざっくりとした状況を、網戸先生に相談した。「面白そうだね! 卒業論文として書いてみたら? いきなり本文から書きだすのではなくて、目次を作るといいよ。」と早速ご指導いただいた。そばにいらした酒井先生からは、「路面電車のデメリットは架線とパンタグラフの擦れる“シュー 音”があるよねぇ。」と、これまた鉄分の多いご意見をいただいた。

次に路面電車の最大都市、広島市中心部にフィールドワークに行くことにした。見知らぬ短大生を、広島電鉄さんは可能な範囲で現状と将来構想を懇切丁寧に教えてくれた。また合わせて電車が走る界隈や人の動きを、滞在時間ギリギリまでつぶさに観察した。

別の日に書店で偶然見つけた、世界各国の路面電車に関するビデオを購入し視聴したところ、特にストラスブールのLRTが車体も洗練され停留所も床が低く、芝生や水の上を走る様はまさに“環境デザイン”であった。早速フランス大使館に押しかけ、LRTの情報を教えてもらった。

横浜市電保存館に行ったときは、当時の運転手だったスタッフが対応してくださった。いろいろ質問していたら、昔懐かしさがこみ上げてしまったようで、「根掘り葉掘り聞くな!」と泣きながら怒られてしまったこともあった。それから持ち前の図々しさもあって、資料や取材内容が蓄積されていった。

秋には静かなところで清書に臨みたいと思い、今は亡き母と二人で軽井沢に行ったのが良い思い出である。

あれほどムシャクシャしていた科目、デザイン論演習がこれほど役立つとは思わなかったし、また大阪に行ったことで視野と行動範囲がグンと広がった。今から思うに、フィールドワークとは研究する学問の分野によって意味は多少異なるだろうが、総じて“観察力を養う”、という意義が大きいのではないだろうか。観察から生じる発想というものが、ものづくりの原動力になりうる、と和辻哲郎の『風土』でも同じようなことが書かれていた。

あらかた書き終わったところで、予備校の先生にも(有料で)論文の下書きを読んでいただいた。「美大生なら論文だけでなく、架空の鉄道会社を制作してみないか?」と提案され、急遽手描きで論文の要点の図式化、ロゴ・マーク、車両・停留所や制服・制帽などのCorporate  Identity(CI)ボードを作成した。これは、美大生で良かった、と思わせてくれるよいアドバイスであったが、もう少し早くIllustrator、Photoshopや3DCGに手を付けていればなあ、と思う今日この頃である。

大晦日には網戸先生のご自宅へ年賀状代わりに、と言うわけではないが最終チェック依頼として返信用着払い伝票付きで、論文の下書きを送らせていただいた。先生も迷惑だったと思うが、こちらも締め切りが近づいていたので必死であった。チェックバックを元に、更に内容を煮詰めて行った。結局提出は締切時間の30分前でヒヤヒヤしたのを覚えている。

さてその一方で基礎デザイン学科への編入試験では、提出前にコピーしておいた論文、CIボードと学生時代の課題やそれ以外で打ち込んだ自由作品をポートレートにまとめ、臨んだ。結果は不合格で目の前が真っ暗になったのを覚えている。網戸先生からは、「たぶん(編入学は)大丈夫じゃない?」と言われていただけにショックも大きかった。

気付けば江の島にいた。桟橋で夕日をモチーフに水彩画を黙々と描いていたのだが、ハッと我に返り編入試験を実施しているほかの美大を探した。宝塚造形芸術大学(現:宝塚大学)しかなく、しかも試験日と卒業式が重なっていた。みんなが卒業式でほっこりムードになっているであろう前日、私は再び大阪に夜行バスに揺られて向かうことになった。

プロダクトデザインコースを受験し、面接でお会いした逆井(さかさい)宏先生は、基礎デザイン学科で教鞭をとっていたことがあると言う。「村上(龍)君は面白い学生だったよ。途中でやめちゃったけど。」と聞いて驚いた。

帰りのバスまで時間があったので、天王寺から路面電車に乗ってみた。その日は雨で、終点の浜寺駅で下車して見上げた空は私の心を映していたかのようだった。

結果は合格。都落ち感は免れないが、就職活動をしていなかった私の首の皮がつながったのを実感した。

春休み直前の研究室に行くと、泉先生、網戸先生、酒井先生と助手さんがいらした。「はい、おめでとう。」と、助手さんから小さな賞状と副賞の鉄の小鉢を渡された。喜びもひとしおであった。

◉卒論は処分しましたが、研究室賞の賞状は残っていました。
◉副賞の小鉢が、柿の落ち葉と同じく、いい具合になっています。

網戸先生から「惜しいのは、広島の現状観察に費やしてしまい都市計画の論文じゃなくて、ルポルタージュになっちゃったことだよねぇ。」との講評をいただいたことが心残りであった。

芳武茂介先生がお作りになられた鉄鉢は漆黒のシボ加工で、表面に丸い突起状の意匠が施してあり、小さいながらもずっしりと重かった。卒業論文や制作の優秀者数名しかいただけないものである。鉄鉢同様その責務の重さと誇りは今でも持ち続けているつもりである。 今は錆びてしまい、それはそれで味わいはあるが、機会があれば作った工房に修復を依頼したいと思う。

「これからキミはどうするの?」と泉先生から尋ねられ、「はい。宝塚の大学に編入します。」と申し上げたら、お三方顔を見合わせて驚かれていた。

今から思うにムサビの良さは、どんなに違う他の講義や実技を受けても、それがどこか点・線・面になっていることだ。あ、この考えがこれに繋がっているのか!と、薫陶を受けた。関係性・物語性とでもいうのだろうか。そういう気付きを与えられて、いまでも〈関係性〉と〈物語性〉は仕事の上での考え方の基礎となっている。

関西での暮らしが始まり、しばらくして生デ研究室から、「後輩の卒業論文・制作説明会で使うから、卒論の概要を書いて送って欲しい。」という旨の手紙がアパートに届いた。書いて返送したが採用されたかどうかは不明である。

この件ご存じの方がいらしたら、ご一報いただければ幸いです。筆者の励みになります。

※芳武茂介先生の小鉢は、現在も鋳心ノ工房にて販売しています。ご興味のある方は以下をご覧ください。

http://www.chushin-kobo.jp/

【ちょっとCMです】

“立案者も寄付者もいい爪あとを残そう”をコンセプトに、まちの古い施設・建物や史跡など、末永く保全していくための看板・クレジットロール必置型クラウドファンディングサイト『name fun』を立ち上げました。決済を除き手数料無料です。

https://name-funding.jp

https://www.facebook.com/namefunding

https://www.instagram.com/namefunding1/