学びシリーズ:06
「初心」ということ
M・S(1988年度・専攻科修了)
自らが引き起こした不祥事により、6場所出場停止の厳しい処分を受けた大相撲力士・朝乃山は、土俵に上がることなく番付が下がり続けるなか、大関経験者にもかかわらず下っ端力士の仕事であるちゃんこ番を始めた。母親から言われた「大関だった自分のことは忘れて、新しい自分を見つけて」ということばを大切にしていたという。ついには三段目まで番付が下がったが、出場停止が明けてそこから再起し、5場所後には再入幕を果たした。
「エスムラルダ」こと村本篤信さんは、ライター、エディター、脚本家、歌手、俳優、そしてドラァグクイーンである。「ドラァグクイーン」とは、華やかな化粧と女装でイベントなどを盛り上げるパフォーマーのこと(「ドラァグ」は薬の「ドラッグ」ではなく、長いドレスを“引きずる”という意味)。化粧には関心がなかった村本さんがドラァグクイーンになるきっかけは二十歳のころにあった。友人に誘われ、化粧を施しドレスを着て新宿二丁目のクラブに出かけた。好奇心から軽い気持ちで誘いに乗ったのだが、ステージに立つと自分の中で新たな扉が開いた。「楽しんでくれるお客さんの顔を見て、かつてない高揚感が芽生えた」という。
ロンドン五輪で金メダル、プロ転向後にはWBAミドル級世界王者に登りつめた、輝かしい戦歴を持つ元プロボクサーの村田諒太氏は引退会見でこう述べた。曰く、「金メダルを獲得したことも、世界チャンピオンになったことも、すべてスタートである。引退もまたスタートである」と。
私はこの三人のことばに「初心」をみる。
「初心忘るべからず」とは、一般的には「初めのころの志を忘れてはならない」という意味で使われ、私もそう思っていた。これはもともと世阿弥のことばだが、実はその意味は少し異なる。能の大成者・世阿弥は、能役者の人生には年齢を重ねるごとに新たに学ぶものがあり、その段階では未熟なのだから、それは「初心」であると説いた。下掛宝生流能楽師・安田登師は『能』(新潮新書)で以下のように説明している。
初心の「初」という漢字は「衣」偏と「刀」からできており、もとの意味は「衣(布地)を刀(鋏)で裁つ」。すなわち「初」とは、まっさらな生地にはじめて刀(鋏)を入れることを示し、「初心忘るべからず」とは、「折あるごとに古い自己を裁ち切り、新たな自己として生まれ変わらなければならない。そのことを忘れるな」という意味なのです。
ところで… 私は中年期にさしかかるころ、歌舞伎好きの義母と妻にくっついて初めて東銀座の歌舞伎座へ出かけた。「日本人は自国の文化を知らない」とはよく見聞きする。俺もそのひとりだな、と思い立ってのことだが、本音は「歌舞伎? 観たことあるよ」と、ただそう言ってみたいだけのヨコシマな考えだった。寝ちゃうかな、でも終わったら「よござんしたネ」とうそぶいて3人で一杯引っかけて帰ろうと考えていたら、存外の面白さに引き込まれてしまった。ついで義母に勧められ文楽を観るようになった。歌舞伎がまばゆい光の世界だとすると、文楽は陰影の深いモノクローム的世界だ。劇場に足を運ぶうち次第しだいに、それら古典芸能というものが長い時間をかけて培ってきたのであろう、表現力のぶ厚さを知り、畏敬の念をもってさらに惹かれていった。すると同じく古い舞台芸能である能が気になりだすところ。歌舞伎や文楽の人気演目には『勧進帳』や『俊寛』など能を元にしたものも数多くある。だがしかし、私はあえて能は避けた。歌舞伎・文楽だけで手一杯なのだから、いかにも難解そうでとっつきづらい能には手を出さないでおこうと思った。
そうこうして幾歳月、私が暮らす田舎町で行政が企画する短期文化講座に「能狂言を楽しむ講座」なるものが開かれることを知った。月1回2時間全5回で受講料は千円ぽっきり。こんなタダ同然で教えてくれる人があるのならと、能は避けるつもりだったのにエスムラルダさん同様軽い気持ちで受講を決めた。講師は若い頃から宝生流 (→詳しく)で能を習ってきたという元国語教員のS氏。のちに、これを契機としてS氏と受講生とで「能楽愛好会」が結成されることになった。S氏がかつて師事した宝生流能楽師のお孫さんで同じく能楽師の若きM先生を師匠として迎え、謡 (→詳しく)と仕舞 (→詳しく)を習うというもの。月1回、東京から100km離れた北関東の小さい町にお越しいただくのである。
その時、まだ私は能にさほど関心は持てずにいたが、その流れに身を委ねた。優柔不断な性分によるとも言えるが、発足に先立ちデモンストレーションのためにお越しになったM先生の謡を聴いて度肝を抜かれたことは大きい。前述のように歌舞伎や文楽を楽しんでいたから、歌舞伎役者の口跡や文楽太夫の義太夫節など古典芸能における「声の力」は知っているつもりだったが、至近距離で浴びる生の謡の迫力はそれほど凄まじいものだった。
さて、2019年の秋に発足したこの能楽愛好会、S氏同様会員には長く能を習って来た人も多く参加している。その人たちは師匠とマンツーマンで稽古するが、私は初心者会員のための合同稽古枠に加わることにした。稽古曲は入門者向きとされる『橋弁慶』。そして始まってみると、その難しさによって私は早々と撃沈する。
謡には台詞にあたる詞謡(ことばうたい)と歌に相当する節謡(ふしうたい)があり、謡い方がきっちり決まっている。稽古で用いる謡本はくずし字で書かれ、その横に付随する記号で声の強弱や音程、押す、引く、伸ばすなどの謡い方が示されている。記号の種類は膨大にあり、しかも曲(演目)のタイプによってその意味が微妙に変化する。その上、記号が全てを説明してるわけでないから厄介だ。記号では説明しきれない謡い方は師匠からの口伝で覚えるしかない。それらが理解できたとしても、その通りにはもちろん謡えない。その曲の物語世界への洞察と、息の使い方、腹から声を出すことなど身体的な訓練も必要だ。雲を掴むような難しさ。一朝一夕にどうにかなるものではないなぁと意気消沈して、なかなか身が入らない。まぁそれでも能の世界に触れられればよいという程度に考え、ふだんの稽古でも端っこで口をパクパク動かしているだけの私であった。
翌2020年、日本列島にも新型コロナウィルスが蔓延し始め、「外出自粛」が叫ばれるなかでは月1回の稽古が中止になったり、オンラインでしのいだりと当会もずいぶん翻弄された。やっと世の中落ち着いてきたかにみえた2022年、中止されていたわが町の「町民文化祭」が再開されることになり、われわれもこれに参加し発表会の場を持つことになった。初めての舞台。出演するのは上手な人たちだろう。私は裏方担当かな? 当然そう思う。ところがどっこい、発表会に先立つ3ヶ月前、稽古が終わってさぁ帰ろうというところでニコニコ顔の師匠に呼び止められた。
「こんどの発表会で、素謡『橋弁慶』のシテをお願いできますか?」
青天の霹靂。『橋弁慶』のシテ (→詳しく)とは、京都五条大橋で牛若丸と闘う弁慶のこと。つまり主役である。
「私がですか? いやいや無理っすよ…」
「だいじょーぶ、できます!」
できます? できるとは? 「クチパクパク」の私にはとうてい務まるものではない。一緒にいた世話役の副会長から発せられた爆弾発言が追い打ちをかけてきた。
「発表会には先生の東京のお弟子さん方もお越しになりますよ」
プレッシャーがさらに増す。しかし、習い事の世界では師匠のことばには抗えないことぐらいは理解している。おそらく師匠は、稽古に身が入らない私に喝を入れる考えだったに違いない。発表会を台無しにする危険も顧みない、なんと大胆なお師匠さんだろうか。
かくなるうえはもうやるしかないのである。師匠の顔に泥は塗れない。みんなの足を引っ張ってしまうことだけは避けたい。いっちょやってみるかと直ちに自宅で自主稽古を始めた。読めないくずし字と格闘しながら謡本を読み込み、物語を理解し、詞章を暗記する。さながら受験勉強のようだ。さらに、録音だけはしておいた師匠のお手本を真似してひたすら声を出し続けた。するとどうであろう、これがだんだん楽しくなってきたではないか。でもなにが楽しいのかよく分からない。声を出すことはあんがい気持ち良いものだ。『橋弁慶』で描かれる古い京都の情景に時代劇趣味がそそられる。DTP界隈で生計を立てている職業柄、謡本の文字や版面へも関心が向く。また、謡本の記号を解読し、声と節を微妙に制御することにはアプリケーション操作やWEBページのコーディングにも似たシステマティックな面白さも覚える。
少しは上達したかな?と思ったところで自分の謡を録音して聴いてみた…。豚のイビキか!? スピーカーから出てきたのは、節も母音もない単調な棒読み、上ずった鼻声。なんのことはない、お手本に合わせて謡っているうちに師匠の声を自分のもののように捉えて上手になったと錯誤していたのだ。この思い上がりに一人自室で恥じた。
恥じていても時間はお構いなしに過ぎてゆき、ついに本番の日がきてしまった。開演前に舞台ソデから覗いてみると、うぉ、お客さんかなり入っている! もはやどうしようもない。ヘタなくせに上手くやろうなどと考えないことだ。いっそ恥をかきにいこう、声さえ出せれば良い。そう開き直れば肝も据わる。回って来た出番。気をつけるべき箇所を何度も確認していたのにすっ飛ばしたり、鼻声が苦になったりと悔いも残ったが、それでもなんとか声だけは出せた。中年男の声柄だから、偉丈夫な弁慶の肚を少しだけ表せたかもしれない。わずかな手応えを感じつつ舞台から下がってみると、なにかにつけ消極的な私に意外にもまた舞台で謡いたいという気持ちが芽生えていることに気づいた。どうやら”新しい扉”が開いたようだ。私にもささやかな「初心」があったのだ。

(この写真は昨年2025年のもの。画像加工してあります)
発表会後、私は合同稽古から個人稽古へ移行し真剣に取り組むことにした。扉が開いた私にとって、はたして能は易しいものになったのか? もちろんそんなことはないが、能が決して恐れるものではないことは知った。能の物語は実はたいがい単純なもので、上演形式や舞台様式、しきたりや決まり事など外形的な側面ではさしてややこしくないから、そこそこ勉強すればだいたいの把握はできる。観能に際してもドレスコードがあるわけでないし、チケットは歌舞伎なんかに比べれば約半値とリーズナボーだから、その意味でも入っていきやすい。
それでも能は難しい。歌舞伎や文楽の場合、物語はむしろ複雑なのにいたって写実的だから舞台で起きていることはずっと分かりやすく、観客を楽しませる演出や表現にも長けている。今日の映画やドラマ同様、受け身で楽しめるエンタテインメントだと思う。一方、写実性をとことんそぎ落として抽象化された能には、観る者が能動的な姿勢で臨む必要がある。さもなくば能とは「のろいダンス」(©ジェイ・ルービン)になってしまう。演じる能役者と観る者とが能の空間を共有する。するとなにもない三間四方の能舞台の外に広がる物語の情景が見え、世阿弥が言う「花」が立ち現れてくる、はず…。かように能の難しさとは、抽象性の森に分け入って行き、その「花」を見いだそうとする心を涵養することにあるのではないか。
まだ「能の旅」が始まったばかりの私は、もがきながらも楽しんでいるのである。
(了)


