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『生デの会』第二回総会&トークイベント 詳報

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 2019年10月26日(土)、芸術祭の中日に、武蔵野美術大学・鷹の台校13号館にて『生デの会』第二回総会及びトークイベントが催されました。総会には約25名が出席し、2018年度活動報告・決算報告、2019年度活動計画・予算案、役員再任が満場一致により承認されました。
 続くトークイベントは「生デ復活! 卒業生が生デを語る」。任意に推薦された卒業生11名に、予め原稿の執筆とスライド上映する写真を依頼しました。テーマは、生デで学んだこと、その後の人生に活きたこと。
 写真やイラストを会場に映写しながら、バラエティに富んだ卒業生たちを次々と紹介します。司会は田村陽子(1989卒)、アシスタントは近藤理恵(1981卒)。懐かしい写真が映写されると、参加者たちから感嘆の声が上がったり笑いが起こったり、思い出話に花が咲きました。先生たちからも当時の貴重な話が語られました。なお出席くださった恩師は泉修二先生(91歳)、網戸通夫先生(83歳)、酒井道夫先生(80歳)、横溝健志先生(81歳)、都丸昌男先生(86歳)です。
 この『生デの会』Web頁への掲載を快諾された卒業生の原稿を、以下に紹介します。
 なお、このトークイベントは今後も継続します。初回は役員による推薦でしたが、次回から広く募集しますので、心当たりの方は自薦他薦を問わず情報をお寄せください。お待ちしています。

◉入口ふさ子

(1967年度卒 第一期生 生デ卒の初代助手)

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初代主任教授・阿部公正先生による講義「情報理論にもとづく美学の動向について」

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大学自治室の様子。プレハブで、役員には建築、商デ、油の学生が多かった。新入生の歓送迎会の打ち合わせ中。

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平均的美大生の下宿風景。二段ベッド、共同の水回り、銭湯、木造二階建て。

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一期生卒業式(1968年3月)。阿部公正先生と泉修二先生。7号館前広場にて。先生たちの笑顔がとても感動的。

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目黒迎賓館にて謝恩会の様子(赤坂迎賓館ではありません)。赤いドレスは宇賀洋子先生。先生も研究室スタッフも若かった!

[推薦者より]
 生デ第1期の卒業生であり、生デ卒初の助手である彼女から、1960年代の大変貴重な写真20点近くが届いた。阿部公正先生、草薙幸司先生、宇賀洋子先生という創立時の先生と共に生活デザイン学科の骨組みを作り出した様子が伺える。今はなき女子寮、今も変わらない7号館、下宿風景、そして黒髪の泉修二先生の写真が何枚もありご本人も照れ笑いしていた。
 彼女は、今も地域ボランティア活動など、多忙な日々を過ごしていらっしゃる。(田村陽子)

◉北村 薫

(1976年度卒 作家)

 正直に言うと既に柳宗悦や白洲正子、小林秀雄等に目を通していた私にとってムサ美の授業は退屈でした。平然と満座の中で異を唱える私。酒井道夫先生や高見堅志郎先生にとって可愛げのない学生だったでしょう。しかしお二人は私を可愛がってくださいました。専攻科に進み田村義也教室(※)では授業の度に激突。私の三年間は寄らば斬る毎日でした。実は鼻っ柱が強いだけだったのですが。
 美術評論の道に進みたかった私ですが、カメラマン志望の夫の経済事情によりパン屋の女将となりました。客がいない時間はひたすら本を読み、そして小説を書き始めました。レジ脇が私の書斎・五十糎庵です。生まれてこの方が全て蓄え、運は意外とその辺に転がっているという事実に齢六十にして気がつきました。
 小説『夜間飛行』は編集者の目にとまり新潮社より出版されるに至りました。結局この一文は私の宣伝! いずれムサ美を舞台にした小説を書くということでこの無礼をお許しあれ。

※田村義也教室:専攻科の選択科目である編集計画/赤木正先生(岩波書店編集者、装丁家兼業になってしまうために赤木正としていた)の名物授業であった。

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学生時代のご本人。ご主人北村育夫氏の写真集より。

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『夜間飛行』新潮社。昭和最後の女給の物語。

[推薦者より]
 同級生だったご主人北村育夫氏が作った写真集は、当時の研究室でも好評価で、高見堅志郎先生がいたくお気に召され、一部譲ってほしいと懇願したが余分はないと冷たく断ったと聞く。「ネガなら今もあるよ」と育夫氏はサラッと言った。
 薫氏のデビュー作『夜間飛行』について酒井道夫先生からのメールには、「朝ドラとか映画化されても不思議はない筆力」とあった。そして、この北村夫妻と私の主人は同級生。武蔵美でも学生運動が起こっていた頃の話である。(田村陽子)

◉岡本直枝

(1978年度卒 テキスタイル造形作家)

 生デの授業は面白くて、割に真面目に取組みましたよ。加えて放課後週末の友人達とダベリまくり遊びまくり。
 この濃い2年間をベースに、17年余りとなる日産でのデザイナー職を頂き。退職後生デに還って教職のスタートも切らせて頂きました。そして40歳でテキスタイルの勉強がしたいとご相談した時、大学院受験をと背中を押して下さったのは、網戸先生です。この恩義にもかかわらず! 現在、テキスタイル造形作家として、個展、グループ展等で作品発表を行うと言う、「用の美(※)」を裏切る様な? 造形表現活動をしています。
 が……、物を造ると言う表現にこだわった自分の作品を見て思います。生デの血は濃いかな、と(笑)。
 物を作る事は、デザインでも作品でも、真に人の身体活動です。そして、人は常に場の中にある。場と人と物。全てが共にあると感じながら、制作の日々です。

※用の美:生活のなかに機能する、かたちと美の世界。『用のかたち・用の美〜芳武茂介クラフトデザイン作品集〜』(1986年 講談社)を参照ください。

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基本的に制作というものは、地味で孤独で長い。

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この9月、イタリアの公募展で招待展示された作品。幅3.2m、高さ3.7m。

[推薦者より]
 1970年代後半、生デには、男・カンドウ、女・カンドウと言う素晴らしくパワフルな学生がいたと網戸通夫先生がよくおっしゃっていた。そして両人ともに社会で活躍し、講師として生デで教鞭を奮った。
 女性の方は姓が変わり、テキスタイル造形家・岡本直枝氏が生まれる後押しをしたのも網戸先生であったらしい。
 作品のスケールの大きさと緻密さに驚き、学生の頃のパワーが今も健在である事に感心した。イタリアの出展作品を現地で観たかったと心から思う。(田村陽子)

◉加兒直子

(1983年度卒 婦人服地店勤務)

〈卒業から今に至る経緯〉
 卒業後、浜松町の銀行専門の内装会社に入社。設計部。バブル真っ只中、証券会社が主婦や若者にも気軽に足を運んでもらおうと店舗をリフォームした時代で、大手証券会社の仕事を補佐した。何をしても遅く、ボ〜っとした性格なのに務まったのは、設計部に武蔵美卒の先輩がいて、仕事の進め方を教えてくれたからだと思う。
 仕事が面白くなり始めた頃、父の体調が良くないので家業を手伝ってと言われ、両親の住む郡山へ行く。郡山はそれまで住んだことがなく、親戚、知人がいない事が辛かった。校友会福島支部立ち上げの連絡をもらった時は、友達が出来るかも、と期待していそいそと出かけて行った。
 それ以来福島支部とは関わり続けている。校友会で頼りになる先輩達と知り合って、郡山に住みやすくなったと感じている。

〈生デで学んだ事は役に……〉
 生デではコンセプトや仕事に対する姿勢を学んだ。入学式当日の生デの教授陣の式辞は強く印象に残っている。「最近デザインが情緒に流されている」。デザインだけでなく、情緒に流される状況は年々強くなっている気がする。

〈生デ時代の思い出〉
 ユニークで大人っぽい人が多かった。周りの子はみんなビジョンを持っていて、自分が何となく武蔵美に入って来た事が恥ずかしかった。
 教授陣が色々な体験をさせてくれた記憶がある。浅草ツアー(※)、椎名誠や橋本治の講演(※)。とても贅沢な授業だった。

※浅草ツアー:浅草ツアー、都電ツアーなど、何人か希望者が集まると出掛けていました。この時は川村先生と網戸先生のお二人が引率でしたでしょうか? ABC商会見学、かっぱ橋道具街、お昼はどじょう、最後は神谷バーで電気ブランを恐る恐る呑んだ記憶があるそうです。

※椎名誠や橋本治の講演:編集計画の特別講義の講師として招待しました。橋本治さんは、酒井先生がヨーロッパ研修中に、代講の安達先生の時にお呼びしました(近藤の希望で)。

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8号館の研究室にて。窓ぎわのテーブルにはいつも人が集まっていた。

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8号館研究室下の通路で、雪に戯れる同期と。室内では小林宏一先生を囲んで。

[推薦者より]
 卒業生からの文章を集める企画が出た時に、地元で活動している方を推薦したいと思いました。それで前校友会会長の佐奈さんに、福島市支部長をしていた可児さんを紹介していただいていたので、連絡を取りました。支部の立ち上げから活動の苦労話まで、いろいろ教えてくださり、「生デの会」のおかげで繋がりが持てたと実感しています。ぜひ直接お会いできる機会があればと思います。(近藤理恵)

◉山本亮子

(1983年度卒 國學院大學大学院文学研究科在学)

 「モノ」と真摯に向き合うことを学びました。
 それは、生デの学生だった時の「やかん(※)」であり、「椅子(※)」であり、グループでレポートした「公共のデザインとしての駅の給水装置(※)」でした。そしてそれはずっと私の中にあり、生かされています。
 卒業後約15年間インテリアデザイン事務所(店舗設計)勤務。その後、建設会社や建設コンサルタント会社、リフォーム会社など勤務。現在、國學院大學大学院文学研究科在学中。民俗学専攻。神酒口(みきのくち)習俗の伝承を追いかけています。神棚のお神酒徳利に挿して飾る飾り物で、信仰の民具です。

※やかん:横溝健志先生と中村達也先生によるデザインリサーチ。市販のやかんの一つを選んで実測、性能調査などを行ない評価する。

※椅子:川村忠夫先生による家具演習。一枚の合板から一脚の椅子を設計・製作する。

※公共のデザインとしての駅の給水装置:1年次、デザイン論演習Iのグループリサーチの授業と思われる。

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神酒口(みきのくち)。 

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経木細工の神酒口(みきのくち)を作る職人。イラストをクリック(タップ)で拡大します。

[推薦者より]
 安達史人先生の声かけで始まった、古典の読書会(30年以上続いています)。山本さんもメンバーになってずいぶん経ちますが、その間に社会人入試で学生となり院生となって民俗学を勉強中。生デの卒業生で、卒業後に学びを続ける方も多いですが、在学中ということで紹介しました。現役の学生たちに混じっての学業は体力的にも大変だと思いますが、フィールドワークであちこちに出掛けたりと民俗学三昧は楽しそうです。読書会では、金曜夜に吉祥寺で『源氏物語』と『太平記』を購読中。興味ある方はご連絡ください。(近藤理恵)

◉道畑拓美

(1984年度卒 インテリアデザイナー)

 私は生デが開設される前年に生まれており、その点においてほぼ同世代を生きてきたのだと再確認しているところです。既にそれ以上の年月を生きることになっており、自身を育て上げていただいた親のような環境が生デだったということは間違いありません。
 当時の思い出と言えば、何とも不思議なことに気軽にそして頻繁に入室していた研究室の映像が最も鮮明に残っています。生意気にもチェスカチェア(※)に腰掛け、先生方や助手さんたちといろいろなお話をさせていただいたものです。その場では先輩方とも気兼ねなく触れ合うことが出来、そこで先輩である現在の妻とも知り合い、仲人は網戸先生ご夫妻にお願いすることにもなりました。披露宴には泉先生と川村先生にもご列席いただき、双方の両親はとても恐縮がっておりました。
 生デを卒業し基礎デに編入することになり、あまりもの環境の変化に当初は少しばかり戸惑っていたことも思い出されます。
 大学卒業後は、都内で7年間勤務した後に地元石川県にUターンし、生デが惜しまれつつも姿を消すことになった2000年に、ある方と一緒にソファメーカーを創業することになったことも何かの運命かもしれません。
 そして現在は自身のデザイン100%のソファ専門店「TRES THE SOFA TAILOR」を南青山・金沢・京都にて展開しています。

※チェスカチェア:マルセル・ブロイヤーのデザインした名品。ご存知の方も多いだろうが、生デの研究室に置かれていたものは、酒井道夫先生がどこかで見つけてきた全くの偽物である。

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一枚の合板から椅子を作る、川村忠夫先生による家具演習。道畑くんは、4つのパーツから成るノックダウンチェアをデザインした。10号館にてプレゼン用の撮影。

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ソファ専門店「TRES THE SOFA TAILOR」のHPより。

[推薦者より]
 生デの男子は希少だ。当然のように助手や女子学生から、力仕事などこき使われる運命にある。抵抗する男子もいるが、素直に役に立ってくれる度量の大きい男子もいる。道畑くんの学年の男子は後者で、一致団結して仲も良い。道畑くんはリーダー格で、何事にも真面目に取り組み努力を惜しまない性格。とくに家具演習では素晴らしい成績を修めた。その後も一貫して家具デザインに取り組んでいる。(西本和美)

◉羽鳥功二

(1985年度卒 パナソニック勤務)

羽鳥さんは、とても魅力的なイラストを描き起こして下さいました。それぞれのイラストをクリック(タップ)で拡大します。

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「生デの会」トークイベントにて。

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1986年、横浜港にて。パリに旅立つ助手の近藤さんを見送る。右端が羽鳥さん。

[推薦者より]
 「入学当初とてもおとなしくて……」と、網戸先生。物静かで(うつむきがち)真面目な青年は、卒業論文では最優秀賞をとり、颯爽と基礎デへ編入していきました。「彼に何があったのでしょう?」。
 第一回「生デの会」で久しぶりに羽鳥くんに再会しました。実は、生デの先生方との興味深いエピソードが盛り沢山だったのですね。彼が躍進した理由の一端が見えた気がしました。予想を超えたこのイラスト原稿が届いた時には、役員一同盛り上がりました。(南雲信子)

◉目時新二郎

(1987年中途退学 鳶職人)

 学生時代の私は、学ぶこと以前に、もう生きることに必死な感じでした。で、そのわりに明るくて放埒というか弾けてるところがあったような……。しかし友人や先生にはかなり恵まれ大変お世話になりました。奨学金のことでは酒井先生に、卒論で中村先生、相談事で都丸先生、結婚に際しては安達先生に。あと生活課のAさん、同窓生で後に助手になった新藤くんにも……紙数が限られているので詳細は省きますが。

 大学2年の春に父親が倒れて以来いろんな事が起こりました。朝鮮大学の学生4人 と喧嘩になり大揉めになるところで、あちらの学生委員長の仲裁が入り事無きを得ました。この委員長、私の中学時代の親友の兄でした。夏休み、新藤くんと千葉の海に行きました。強い引き潮にのまれて三度沈み、死に直面しました。彼の通報でライフセーバー3人に救出されました(まさに助手)。芸祭最終日、サンバ愛好会もろもろを引き連れ、踊り狂いながら鷹の台駅まで行きました。ホームで騒ぎすぎて電車を止めてしまい駅員と揉めました。翌日の大事な就職面接では3時間半も遅刻し、面接会場に着いた頃には誰もいませんでした。バドミントン部秋のリーグ戦に参加し決勝戦まで勝ち進みました。前日の徹夜と食事を抜いたせいなのか、途中、全身痙攣を引き起こして一ッ橋病院に搬送されました。緊急入院となりましたが抜け出し、その後の飲み会に参加し、また痙攣を起こして再搬送されました。今思い返すとまさに紙一重の一年間でした。あ、先の一文を訂正します。大学2年春に父親が倒れて以来いろんな事を起こしました、です。

 卒論提出を間近に控えた頃、私は学費の工面がつかず卒業をあきらめ、家でひとり燻っていました。そんな私を心配し自宅を訪ねてきたのが卒論指導を担当した中村達也先生でした。先生は私の窮状を知り、涙しながら卒業は断念するにせよ、卒論だけは書くよう勧めてくれました。私は拗ねて頑なに拒みましましたが先生もまた折れません。長い押し問答の末、最後に先生は「提出に3日猶予をやる。内容はともかく指定枚数分は書きあげてみろ。当日オレが車で迎えに行くから」と言い、ぐずる私の重い腰を上げてくれました。私は三日三晩かけ書き上げました。右手はもう動かなくなり内容も散々なものでしたが、向かう車中で先生からは良くやったと褒めてもらいました。きっと先生は語らずとも「とにかくケジメだけはつけろ!」ということを私に教えてくれたのだと思います。ホントあの憎々しい顔のおでこに〈恩師〉と書きたいくらいですね。

 貧しくも楽しい大学時代でしたが、学内で唯一鬼門だったのが一号館、学生生活課でした。たびたび召喚状がきてはあれこれ説教されました。受付ではいつも、仁王立ちで決して穏やかではない顔つきのAさんが応対してくれました。出向くと冒頭「またキミか!」と言われました。そんなある日、育英奨学金の申請相談のため鬼門に赴くと、また仁王様が登場。「無理無理キミは無理だよ。学校推薦しても毎年一人通るかどうかの難関の特別奨学金に(キミの成績と素行では)キミは通らないよ。まして必死に学業に励んでいる人を差し置いてキミを学校推薦にはできない」とまで言われました(ムカつくがごもっとも)。ただ無理でも申請はできるとのことで、せめて親から家庭の窮状を伝える手紙と研究室からの推薦文を添えるようアドバイスをもらいました。推薦文は酒井先生にお願いしました。後日、また鬼門から召喚されました。受付のその日の仁王様は頭を掻いて登場し「いやー実は育英から怒られちゃってね。なぜこういう子を推薦しないんだ、と言うんだよ。育英奨学金はこういう子を救うためにあり、その主旨をおたくの学校は理解してますか、とまで言われちゃってねえ」と言ってから少し間を置き、「おめでとうございます。育英一種二種併用奨学金が認められました。キミには大変失礼なことを言ってしまい申し訳なかった」と頭を下げてくれました。こっちは少しドヤ顔になりました。しかしその後も、鬼門にはあれこれ何倍もこちらが頭を下げに行きました。酒井先生の一筆がなければ私の学生生活はありませんでした。

 その後、学校からも弾けてしまった私は鳶の世界に入りました。鳶って? そうです、あの建設現場の高いとこで仕事する輩です。四十代になる頃には何十人もの職人を従えて建物を作るようになりました。そんな私ですが、同じ生デで現在は本学職員でもある方とご縁を持ちました。いま基礎デ3年の長男と、ムサ美の受験を目指す高校生の次男がいます。もうここまでくるとムサ美は懐かしい思い出というより、今も生配信されている動画を見ているような感じですね。
 先日、基礎デ在籍の長男が、構内にある工作センターを利用したときのこと。窓口の職員の方が息子の名前を見て「あ、キミはもしかして、あの目時新二郎さんの息子さん?」と聞かれたらしい。そう、あの学生生活課の仁王様です。35年も前の一生徒のことをよくぞ憶えていてくれた、とありがたかったです。今度、菓子折りでも持ってまた35年ぶりに頭下げに行こうかなー。

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8号館渡り廊下にて。本人は記憶にない写真らしい。

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おまけ

[推薦者より]
 と、かように奔放な男でありました。まあそれだけに個性は際立ち、ポテンシャルの高さを感じました。フラフラしている風でありながら読書家で好奇心と向学心が強く先生方の期待も大きかったと思いますが、経済的に困窮し卒業に至らなかった。でもそこは強靱で楽天的な気質なんでしょう、そののち大都会トーキョーをサバイヴし、いまや大きな現場で数十人の鳶職人を束ねるひとかどの親方となった。私も建設現場に身を置いた時期があるから分かるけど、それは並大抵のことではありません。技術、経験はもとより、知力、体力、指導力、人望、とかね。さらに海千山千の職人と対峙する胆力。この胆力こそ目時の真骨頂だと思います。
 たいしたもんだ。(新藤勝)

◉西岡真紀子

(1997年度卒 通信教育課程在学)

 1995年春、生デに合格した。入学後、選択したのは編集コース(※)。酒井道夫先生の授業は、いつもゆったりとした空気が流れていて、その雰囲気が大好きだった。ある時、編集は結婚して家庭に入っても復帰しやすい仕事、と先生が話してくれたのを覚えている。
 卒業後、運良く雑誌の編集者となり、仕事を覚えるほど夢中になり、充実の毎日だった。結婚してしばらくしてから仕事を辞めて出産、育児に専念した。その後、離婚してシングルマザーになったが、酒井先生の言葉どおり、また編集者として戻ることができた。
 2011年、東日本大震災をきっかけに人生を見つめなおし、南の島・奄美大島へ移住。島で子育てするうちに「教育」に興味を持ち、一昨年、ムサ美の通信教育課程の芸術文化学科に編入学し、教職課程を履修した。膨大な課題や試験、スクーリングにてんてこ舞いだが、自分で選んだ道の勉強は心から愉しい。
 ところで、気づくと私はメモを取っている。テレビやラジオ、ネットや本、集落のおばぁの昔話の中からでも、気になる言葉が出たら、すぐにメモ。「編集者魂」がまだ残っているらしい。これを活かして、来年の卒論に挑もうと思う。人生、無駄なことって何もない。

※編集コース:2年次で選択する専門コースには、プロダクト、編集、理論コースがある。

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2年次の編集コースの専門科目・レイアウト演習(安達史人先生)にて。カメラ好きの友人が撮影・現像してくれた一枚。

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西岡さんの暮らす集落は湾内にあり、海は常に凪いでいる。キラキラ輝く夏色の海もいいが、夕景は格別。奄美大島の、遮るものがない空と海を眺めるだけで癒されるという。

[推薦者より]
 西岡さんは幼少期を海外で暮らしており、原風景としての「田舎」の存在が希薄だ。海のある暮らしにも憧れていた。そこで息子のため、両親や姉家族のためにも、この際、自分が田舎をつくろうと決心した。東京を離れて奄美大島に根付き息子が成長するにつれ、へき地の美術教師が不足していることを知る。そこでこんどは美術教師になる決心をしたのだ。利他の心で、信ずる道を伐り開く、そんな彼女を素敵だと思う。(西本和美)

●終わりに

 「生デ復活! 卒業生が生デを語る」いかがでしたか? 生デの旅は続きます。次はぜひあなたの話を聞かせてほしいです。もしくは、一緒に旅にでましょう。(会長・田村陽子)

●本日のトークイベントについての感想

 イベントに参加くださった卒業生たちのアンケート回答をご紹介します。参加者25名中16名が「面白かった」とのこと。「特に」では、以下のような答えがありました。

◎田村会長のトークが絶品でした◎羽鳥さんのイラストの思い出◎卒業生の近況報告。一期生の入口さんはすごかったです◎どの方も、それぞれの人生があって興味深かったです◎スライドいいです◎卒業生の活動と現状の紹介◎11名それぞれ個性的でよかったです。人選good!◎沢山の写真を観ながらのトーク、とても素敵でした◎数々の写真やエピソードトーク◎貴重な写真が見られて楽しかったです◎スライド、先生のお話全て

●今後の『生デの会』の企画ついて

◎市ヶ谷ムサ美も見学したい◎プロダクト、編集、インテリア、色々な分野ごとの意見交換、専門的なレクチャー等が聞いてみたい◎今回のような卒業生の話がよい

 ご参加ありがとうございました。このアンケートに応えるべく、今後のイベントをさらに充実させていきたいと思います。

(C)武蔵野美術大学 校友会 生デの会 2018